ベトナムで感じたこと
ベトナムという国は大国である中国に隣接しており、歴史的には、中国とは仲がよかったり悪かったりした時期があったようですが、文化や政治など様々な面で中国の強い影響を受け、それが今でもベトナムの国に残っているようです。
ベトナムという国の名前そのものも実は漢字で書くと「越南」という字になりますし、ベトナム人の名前も、もともとは漢字からできていたということです。文字は、現在はベトナム独自の文字を使っていますが、発音に中国語が残っているようで、例えば、グエンさんという姓のベトナム人は非常に多いのですが、「グエン」というのは、もともと漢字の「阮」だということですし、他の名前も漢字で表すことができるようです。ただ、現在のベトナム人は漢字は全くわかりません。ハノイにある古い寺院の門などには、漢字で看板というか飾りが掛けられているのですが、我々日本人は漢字が読めるので、漢字だということがわかるのですが、ベトナムの人は何が書いてあるのか全くわからないということでした。

また、私の職場での研究テーマはベトナムの地方制度だったですが、ベトナムの政治体制や行政制度、地方行政制度なども中国における現在の制度に非常に似ているようです。これは、ベトナムが現在の政治体制をとった際に、仲のよかった同じ社会主義国の先輩である中国の制度を参考にしたということなのでしょう。
2回目にベトナムに行ったときは、ちょうど冬の時期だったのですが、はじめにホーチミンシティ(旧サイゴン)に着いたときは結構蒸し暑くて、半袖シャツでちょうどよいくらいだったのですが、その後でハノイに行ったら、はじめのうちは晴れていたので、少し涼しいくらいかなあと思ったのですが、曇ってきたら急に寒くなって、私は夏用の洋服しか持っていっていなかったので寒くて大変でした。このように、南のホーチミンシティと北のハノイとは気候もかなり違うのですが、雰囲気も全く違っていて、ホーチミンシティは、どちらかと言えばフランスやアメリカの雰囲気が残っているおしゃれな都市で、明るくてにぎやか感じがしたのですが、ハノイはというと、おしゃれというよりも質実剛健という雰囲気の都市で、なんとなく暗いというか落ち着いた感じがしました。
公務員についても、ホーチミンシティの人民委員会(市役所に当たる機関)の職員というのは、髪型も服装もスマートで洗練されているという感じなのですが、ハノイの政府機関(ハノイは首都なので政府の中央機関はハノイにあります。)の職員は、街の印象と同じで、質実剛健だけれども、あまり洗練されているという感じではなく、服装などの外見にはあまり気を使っていないような感じでした。
もっとも、ハノイ、というかベトナムの政府機関の上級職員というのは、ベトナム戦争時代、北側として戦っていた人が多いのでしょうから、そういう印象を受けるのも当然なのでしょう。彼らと話をしていても、口数は少ないけれど非常に実直な感じがしました。でも、話をしている時に彼らから睨まれたりすると(向こうは、別に睨んでいるつもりではないのでしょうが)、かなり怖いです。このように、ホーチミンシティとハノイとは様々な点で対照的な都市で、「暑いホーチミンと寒いハノイ」、「経済のホーチミンと政治のハノイ」、「西側の雰囲気があるホーチミンと東側の雰囲気があるハノイ」という感じでしょうか。なお、何となくですが、ホーチミン市の職員とハノイにいる政府職員とは、あまり仲がよくないような気がしたのですが、これは、私の気のせいでしょうか...
ベトナムの人たちは、世代によって話せる外国語が異なっていて、一番年配の世代は、フランス植民地だった影響でフランス語を話せる人が多く、その下の世代は、ベトナム戦争後の社会主義時代の初期に学んだ世代ということになるため、ロシア語を話せる人が多く、その次の世代?今の若い人は、経済改革が進んでいく中で欧米諸国とのつながりが深まってきたため、英語を勉強している人が多いようです。なお、ホーチミンシティには、ベトナム戦争時にアメリカ側について、アメリカ軍の元で働いていた人たちがいて、その人たちは英語が話せるのですが、現在は、もちろん、政府などの公的な仕事につくことは難しいようで、英語を活かして外国人観光客相手のガイドのような仕事をしている人が多いようです。私がホーチミンシティで拾ったシクロ(人力車)乗りのおじさんも、もとは米軍の下で仕事をしていたということで、流暢な英語を話していました。それから、今のベトナムでは日本語を勉強することもかなり盛んになってきているようで、日本語を学んでいる学生がたくさんいます。仕事のために現地で頼んだガイドも日本語を勉強している学生だったのですが、現在、たくさんの日本の企業が進出しているため、日本語を話せるといい仕事に就くことができるということでした。

コメントする